ポスト資本主義社会 ドラッカー
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2022/03/29 (ダイヤモンド社)
ここでいうポスト資本主義社会の意味は、知識が資源の中核を担うようになったってことね とはいえ「教養ある人間」が未来はともあれ現在を理解するには、西洋の伝統を中核におかなければならない。未来は「脱西洋」かもしれない。「反西洋」かも知れない。しかし、「非西洋」ではない。
逆にわれわれは、ますます専門化していく。われわれが真に必要とするものは、多様な専門知識を理解する能力である。そのような能力をもつ者が、「知識社会」における「教養ある人間」である。 ポスト資本主義社会は、知識社会であるとともに、同時に組織社会である。(…中略…)したがって「教育ある人間」は、二つの文化、すなわち一方は言葉や思想に焦点を合わせた「知識人」の文化と、一方は人間と仕事に焦点を合わせた「管理者」の文化の中で生き、働くことができなければならない。「知識人」には、道具としての組織が必要である。組織のおかげで、彼ら知識人は、彼らのテクネー、すなわちその専門化された知識を適用することが可能となる。他方、「管理者」は、知識をもって組織の目的を実現するための手段と見る。(…中略…)「知識人」の世界は、「管理者」による均衡がなければ、みなが「自分の好きなことをする」だけとなり、誰も意味あることは何もしない世界になってしまう。「管理者」の世界も、「知識人」による均衡がなければ、官僚主義に陥り、「組織人間」の無気力な灰世界に堕してしまう。 年金基金を通じて生産要素を、生産手段を有する知識労働者
主権国家たる国民国家こそが唯一の権力機関であるとする教義にとっては、共産主義、ナチズム、全体主義は、究極の理想
経営管理者とは「知識の適用と、知識の働きに責任を持つ者」
ポスト資本主義社会においては時間をお金に変えるより、時間を知識に変えてからお金に変える方が効率が良い。nishio.icon